コラム

「2ケツ」に思う

高校生らしき男女がいわゆる「2ケツ」で自転車に乗っている光景を良く見る。

その周囲には友達はいない。仲が良いのだろう。

私が高校生のときにも好ましいと思った女性はいたと思う。しかし、それは思春期の当然の帰結としてのもので、それ以上のものではなかった。友達の中には、ラブレターを送り、全く返答すらもらえない奴も何人かいた。

毎日スポーツに明け暮れ、男友達としか話をしないで何ヶ月も過ごしたこともあった。

 

大学に進学し、ガールフレンド(古い言い方だろう。)はできた。しかし、ガールフレンドと時折合ってお茶を飲み、会話をし、どこかの公園に行ったりもした。それが交際であり、付き合っていることだった。

昨今のいわゆる「付き合っている」という男女の関係は、それとは全く趣を異にしており、もっと違う(私に言わせるともっと動物的な?)ものらしい。

 

しかし、中学生或いは高校生が、現代流にいう「付き合う」という形を取ることはどうなのだろう。

中学生或いは少なくとも高校生の段階では、「中性」的生活が重要なのではないか。

そして、中性的中学生生活或いは高校生生活の中で、きたるべき男性或いは女性となるときのためのものを備えるべきではないだろうか。

 

では、いつになったら大人といえるのかは、還暦を迎えようとしている私自身も全く判らない。

自分が大人になったのか。これは私がこの世を去るまで判らないことかもしれない。

 

但し、この偏った情報の中で、耳だけ年増になり、大人になったつもりで、バラエティ番組などで「大人の行動」ということをまねることは危険極まりない。

人間にとって重要な成長のためのときを、自分を大人だと錯覚し行動することは危険なのだ。

そのように無為に時を過ごし、適齢期を迎えたころ、男女の関係にのみ依拠して生活を構築してしまった者が、自らの人生において、そのような関係は自らを鍛え上げることによっておのずから訪れてくる大人の世界を想像することができず、それを再構築することは極めて多くの苦痛と困難を伴い、そのような生活による病気に怯えるのだ。

 

反対に、「中性」の時代を有意義に過ごした者は、その後の大人に向かう筋道は順調となる気がする。

それは、「中性」時代に自然と自らを鍛えているのだろう。

 

中学生・高校生に

「そんなに急いで大人ぶらなくても良い」「もっと、ゆっくりと大人になりなさい」

男学生対しては、「一生付き合える男友達を作りなさい。」「何でも良いから、もっと勉強しなさい」と言いたい。

女学生に対しては、「自分を大切にしなさい」と言いたい。