コラム

公務員採用大幅削減によせて

ニュースによると、内閣は、平成24年4月3日、平成25年度の国家公務員の新規採用を、政権交代前の平成21年度(8511人)比で56%減の3780人を上限とする方針を閣議決定したということだ。(結局のところ、6日の行政改革実行本部(本部長・野田佳彦首相)の会合で、平成25年度の新規採用数を平成21年度比で4割超削減する方針を確認したということらしい。)

野田首相は、「大変厳しい決断だったが、行革は不断の努力しかない」と述べ、行政改革担当の岡田副総理は、全体平均で7割(省庁によっては80%)削減すべきとの意見を述べたということらしい。

マスコミの中には、この結果を、行政の「身を切る改革」の1つだともてはやすかのような見解も示されている。

 

良く判らない。

 

年金と税金の一体改革だか何だか判らないことが政府の方針だとか。

そして、それは、現在の若者に将来の負担を残さないこととすることだという。

それなら、中堅やお年寄りの役付の給料を減らして、その分若い人を採用すれば良い。(増員には勿論反対だが。)

若い人たちが、一生懸命働いて盛り立てていかなければ、経済は活性化しないし国の増収は見込めない。

それなのに、どうして今、若者のやる気をなくすような方針を打ち出すのか?

矛盾ではないか?

社会保障の問題はこれから若者にかかっているのではないか。

こんな小馬鹿にされた若者は腹を立てなければいけない。

しかし、その前に、若者は自らを反省しなければいけない。これまで安易な途ばかり辿ってきていないか。就職といっても、派遣だ、バイトなどと言っては、その日暮らしの生活をしてきたのではないか。携帯それに続くスマホ、ゲーム、男のピアスに現を抜かしていないか?

そんな若者は大人からすると、どうでも良い存在になってしまったのではないか?

更に、遡れば、私を含めた今の若者を育てた大人はもっと考え、反省しなければいけない。「どうして?こんな若者を育ててしまったのか?」と。しかし、この意見に「僕たちを育てた大人が悪い。」と若者が同調することはいけないことだ。君たちは大人なのだから、責任を転嫁することはいけない。もっと、大人らしく自分の頭で考え、自分を見つけるために生きるべきだ。

 

別の心配もする。

公務員の削減により、就職できる公務員(殊に昔上級職と言われていた公務員)は、公務員になれたことによりエリート意識満々だろう。そのような若者が大人になったとき、その意識はどうなっているだろう。私も自らを振り返ってみて、若者であったときと今の感覚のズレを感じることがままある。

それを感じることができる私自身を、私は褒めるときもある。

現代の若者は、「内省」という心の活動を知らず、「誰々がこう言ったから」とか「誰々が・・しないから。」などと言い、自らがすべきことをせず、責任を他に求める傾向がある。

そのような若者の中の「エリート」と称される者が社会の中枢を担うようになったとき、そこにあるものは「上から目線」であり、「人の痛みが判らない」大人ではないか?

そんな大人が官僚として日本を牛耳ったらどうなるのか?寒気すら覚える。

 

公務員と言っても、いうなら現業と非現業に分かれるはずだ。削減の対象となるのは、このうち非現業でさぼっている者であるはずだ。そのような公務員を削減するのは当然だ。

3.11のとき、現業の公務員殊に制服組でない消防士や自衛官はフル活動だったはずだ。それを一律削減するなどということはあり得ない。政府もそこのところは若干判って事を決めた節がある。

 

話はそれる。

死の危険に向かう消防士の1回の出動費はいくらかしっているだろうか?聞いたら驚く。百円単位だ。(私の記憶では300円くらいじゃなかったかと思う。自衛官や警察官の緊急出動の方が若干高いか?)

彼らの給与が、紙をいじってお金を稼いでいる人たちの1000分の1にも満たない収入ということがあり得るのか?

私の家の近くには大きな消防署がある。毎朝8時30分になると体操の声が聞こえる。それから毎日ホースを点検し、チェーンソーを回す。そのたもろもろのルーティーンワークが行われる。本当に感謝である。いざとなったら、彼らは死の危険に立ち向かっていくのだ。火事のない日の方が多いかもしれない。しかし、救急車はひっきりなしに出動する。(また、どこかのおじいさん、おばあさんが倒れたのだろうと思う。)

しかし、この消防士の「暇な時間」を無駄とは言わない。それはいつ訪れるか判らない危険のために覚悟をする時間なのだ。本当に敬服する。

 

こうやって書いていると、次々と稚拙な考えが浮かんできてしまう。

ええいっ!! もっと、若者よしっかりしろ! もっと、きちんといろいろなことと向き合え!そうでなければ、君たちはもっと惨めになる。

また、書こうか。