コラム

ちょっと怖い神格化

緊急事態宣言が取り消される地域がでてきました。
現段階でコロナウィルスの感染者数が減少の兆しを受け、政府は緊急事態宣言の対象地域を限定するようになりました。
それとともに、各地方自治体においても、その特殊性等を考慮して独自の基準のもと制限を緩和することとなっています。
これは憲法にも定められている「地方自治の本旨」を実現するものとして評価されるべきものです。

どことは言いませんが、その先鋒となっている大都市においては、知事の手腕が評価されているように思います。

現在はコロナウィルスという人類の共通の敵にともいえるものとの戦いの最中であり、その感染を抑止し、なおかつ経済的な救済も図っている行政主宰者は立派だと評価できます。
私自身、独自のコロナウィルス政策を提案し実行しておられることに対しては敬意を表するもので、その成功を心から祈っているものです。

しかし、コロナ禍が去ったとき、当該地方自治体には懸案の課題が溜まっており、その実現に向けて活動をしていくことになります。
ここで、国民として注意を要するのは、コロナウィルス対策で実力を発揮された主宰者が他の領分においても力量を発揮することができるのかということとは別問題だということです。即ち、コロナウィルスについては、日本中或いは世界中の価値観がほぼ一致しているスタート地点に立ち、その対策等についての手法をどうするかという問題でした。
しかし、ある施設を設けるかどうか、その事業に加入する資本がどのようなものか、施設による弊害はどうか等々の議論を経たうえで遂行されるべき事業においては、反対意見にも耳を傾けた十分な議論がなされなければならないのです。

コロナウィルスにおいて手腕を発揮したことが、別の事業についても当てはまり、「あの政治家の言うことなら間違いがない」などと有権者が考えたとすると、それは、その政治家を「神格化」したことに他ならないのではないでしょうか?

第2次世界大戦前に、第1次世界大戦による賠償金の支払により深刻な不況となった国民を不十分とは知りながら独自の経済政策を強行し、形だけは不況を脱したかのように見せかけて国民を戦争へと追いやった人物は、演説・統制により、国民をして自らを神格化された存在と認識させました。
政治というのは、政策や事業方針等について、本当の意味での「是々非々」の議論がなされるべきです。

今後、私は、コロナウィルスではない別の事業の実施について、当該政治家が「コロナウィルスのときには・・・して、うまくいった。」などと的外れな答弁をするかどうかをウォッチングしていきたいと思っています。
現在の政権も、一部信奉者からの神格化された存在であったのですが、信奉者の心は秋の空のようにくるくると変わるため、今回でようやく終了となることでしょう。